直葬(火葬式)に最低限必要なものってご存知ですか? NPO家族葬の会【直葬プラン】 ※直葬とは、火葬のみを行う一番簡略化された葬式です。 詳しくはこちら

コラム

2011年12月 6日 火曜日

ミーちゃん(6)

本日16時20分玄関前にミーちゃんが帰って生きていました。若干前よりもやせたようで、一層哀れな雰囲気でした。影になっていて分からなかったのですが、千切れそうな足はどうなっているのか確かめることは出来ませんでした。声をかけると小さな声で返事をしました。おなかがすいているのでしょうはじめて与えた餌を全て食べつくしました。餌を与えて少しして宅急便の人が来たので出て見るとミーちゃんはまだそこにいました。自転車のスポークのかげでこちらを見ています。少し怖そうにしていますが、逃げません。安心してくれると言いのだけど。今日はすごく寒いので、どうしたらいいかこれから考えます。
とりあえず無事でいることが分かって、ほっとしています。

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2011年11月27日 日曜日

野良猫みーちゃん(5)

朝になると玄関先で餌を待っていたミーちゃんが姿を見せなくなりました。姿を見せなくなって、もう五日ほどになります。左後ろ足に足先が千切れていたミーちゃんがどうしているのか心配です。どこかの家で餌をもらっているのでしょうか。暖かい寝場所があるのでしょうか。隣のアパートで餌をやっていたという若い男性に聞くと、時々餌をやっているが50センチぐらいからは近づくことができないと言うことでした。それはわれわれと同じです。はじめは餌を与えていればもっとなれて近づいてくると思っていたし、そうすれば捕まえて医者に連れて行けると思っていました。このまま現れなくなると、50センチ以上は近づけないままになってしまいます。どんどん寒くなっていくので、心配が募ります。無事な姿を見ることが出来たら・・・と思う毎日です。

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2011年11月21日 月曜日

野良猫みーちゃん(4)

ミーちゃんは、私が作ったハッポースチロールの小屋を出てしまいました。小屋からいなくなって2日間ほど姿を見せなかったのですが、ある朝お腹がすいたのかいきなり玄関先においてあるちりとりの中に丸くなって入っていました。ミーちゃんは多分怪我のせいで、小さなちりとりの中にすっぽりと入ってしまうほど体がやせ細っているのでしょう。声をかけると逃げるわけではないのですが、警戒心は解きません。餌入れをに餌を入れて体のそばに差し出すと、体を引きます。それでも我慢して逃げずにいます。こちらも動きをゆっくりとして、必要以上に近づかないように、怖がらせないように注意をしながらの対応です。歩いているところを見ると。左後ろの足先がほとんど千切れているようで、皮一枚でぶら下がっています。怖がらせずに捕まえて医者に早く連れて行きたいのですが、あの警戒心では、一度失敗すると姿を消してしまいそうです。冬が来る前に何とかできないかとあせっています。

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2011年11月 9日 水曜日

野良猫みーちゃん(3)

ミーちゃんが現れて約1ヶ月が経ちます。狭い場所に小屋を造ってやりました。餌を与えていたので割合スムーズにその小屋に入ったようです。雨が入らないように工夫した(といってもハッポースチロールの箱に入り口をつけただけですが)小屋は暖かさもあるはずで、気に入っているようです。私自身も小屋には1メーター以内には近づけません。(苦労すれば近づけます。)昨日ついに朝の餌をやる時間に玄関わきで待っていました。ベランダの鉄筋の影にいたので、出たところからは見えず、数歩歩いてそこにいるのが分かりました。そのときには1メーター足らずの距離でしたが、緊張はしていた物の恐れた様子はありませんでした。私は餌をミーちゃんの前におくとそのまま後ずさりしてその場を離れました。ミーちゃんはやせていて、怪我をした左後ろ足は変形しているようでした。早く医者に連れて行きたいのですが、捕まえることが出来るようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。これから朝の餌を持っていってやりますが、待っているでしょうか。

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2011年10月30日 日曜日

何か変 監督

先日のドラフト会議で自分の甥である東海大学の菅野選手(多分、間違っていたらごめんなさい)を1位指名して抽選で日本ハムに負けて指名権を獲得できなかったジャイアンツの原監督の言葉に驚きました。「ジャイアンツの監督として有力な選手を獲得できなかったことと彼の叔父として彼と一緒に野球が出来ないかもしれないことを残念に思う」というようなことを原監督は言っていたように思います。監督としての発言は「獲得しようとしたが出来なかった。残念だ」といえば足りたはずですし、野球人としては「どの球団であろうとがんばって一流選手に成長してほしい」とエールを送るべきだったのではないでしょうか。身内からの発言は余計であっただけでなく、少なからぬ数の選手が面白くなかったに違いありません。
それにしても野球選手のこのような感覚には驚かされます。長島監督も野村監督も野球選手としては渇して能力が高かった訳けではない息子を自分の球団に就職させていました。子供の何に期待しようとしたのでしょうか。これでは大リーグと対等になるのは無理ではないでしょうか。ワールドシリーズに出場したティームの監督は、18歳で大リーグデビューし数年後には目が出ないうちに野球をやめ、多分大学に行って弁護士資格を取って、再び今度はコーチとして大リーグに復帰したそうです。日米の野球人の意識の差に情けなくなります。

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2011年10月11日 火曜日

野良猫みーちゃん(2)

ミーちゃんは、野良猫とは思えないほど気品のある顔で、意志が強そうでもあります。もう毎朝6時ごろに餌をあげるのも10日ほどになるのですが、一向に近づいて来ようとはしません。じっと私のほうを見るだけです。私がその場を離れると食べているようです。2階のベランダから食べているのを見ようとすると、食べるのをやめてじーっと私を見上げています。
ただ、私を見る目の表情が変化してきたように感じます。はじめは警戒心に溢れていたのですが、今の視線は少しやわらかくなってきたようです。多分、毎朝6時ごろに餌を持っていくので、待つようになっていると思います。餌を持っていくと私の目を見ています。足が不自由なので、歩き回る姿は変なのですが、血が止まって傷口が悪化していなければうれしいのですが。
いつも寝ているところに雨よけのハッポースティロールの箱の蓋を置いています。寝ているところの下には軽いのような石を敷いてあります。ミーちゃんがトイレにでも出かけていないときにしきましたが、下からの寒さへの助けにはなるでしょうが、大丈夫でしょうか。実は大き目のハッポースティロールの箱を2つ組み合わせて小屋風にしたものをミーちゃんが寝ている場所のすぐ向こう側においてみました。これを使ってくれるようになるといいのですが。

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2011年10月 1日 土曜日

野良猫みーちゃん(1)

後にミーちゃんとなずけたその猫が、私の前に現れたのは今から1週間ほど前のことでした。その朝、玄関の前に点々とついた血の滴を妻が発見し、すぐに私を呼んで、「多分どこかの猫の血だと思うけど・・・」といぶかっていました。その日の内に、私が隣のアパートの駐車場を片足を引きずるように歩いている猫を発見しました。
猫はきれいな顔で、ずっと捨てられていたようには見えませんでしたから、どこかの飼い猫かなと思ったのが第一印象でした。ただ、怪我をしてから満足に餌を食べていなかったのか、やせてちいさな体でした。
その日から、猫餌を餌入れに入れて与え始めました。(我が家には捨て猫出身のジジオ君という名の去勢されたオス猫がいますので、餌や食器などは余分があります。)そのときは、彼(彼女?)の警戒心が強く、また猫のねぐらや日中の居場所は分かりませんから、適当に餌を置いておくと人間の姿のないときに食べていたようです。彼(彼女?)の警戒心の強さは、野良猫には普通のものだったのかもしれません。あるいは、怪我に人間が関係していたために、普通よりも強い警戒心を持っていたのかもしれません。

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2011年9月30日 金曜日

小沢氏秘書有罪判決と朝日新聞(2)

第二の点は、小沢氏の政治的体質についてです。岩手の土建業界を背景に安定した地盤を作ってきた小沢氏の政治的背景に対する批判です。不透明な政治資金や政治手法に対する朝日の批判は、これまでも繰り返されてきました。しかし、小沢氏に対する批判は、正しく行われてきたかというと、そうは思えません。何であれ小沢批判であれば賛成するという姿勢に見えて仕方ありません。
これは、朝日新聞が小沢氏の親分といわれた田中角栄との確執を、田中角栄亡き後小沢氏に対してまで引きずっていることから来ていると思います。なにが朝日と田中・小沢両氏の間にあったのかはっきりと知りたい物です。いつか、明らかにされたときには朝日も傷つくようなことが秘められているのかもしれません。
このわけの分からない両者の確執が、朝日の報道の背後に隠されているのではないでしょうか。そのことが、「理由のよく分からない判決への賛辞」と「小沢氏の体質批判」という奇妙な主張に現れているのではないでしょうか。
実は、朝日の主張にはしばしばこうした理解しがたい面が見えることがあります。「悪者をやっつけるためには筋が通らなくてもいいのだ」という態度は、朝日も分かったうえで、読者には分からないだろうとたかをくくっているようなところがあります。残念ながら、本当のインテリになりきれないゆえんです。

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2011年9月28日 水曜日

小沢氏秘書有罪判決と朝日新聞

小沢氏の3人の秘書に対する東京地裁の判決が出された。政治資金収支報告書の虚偽記載に対する判決で、執行猶予付きの禁固刑が言い渡された。朝日新聞は社説で、この判決を全面的に支持している。この社説では、二つの点が示されている。一つは、「供述に頼らず、客観証拠を積み上げ、それによって物語を語らせる。・・・ていねいに立証していけば(検察の)主張が通ることを判決は教えている」という結論的部分です。この判決にどれだけの客観証拠があったのかを社説は語ろうとしていません。これでは、いかにも公正な裁判を支持しているようだが、内実は結論が自分の考えに沿っているかどうかだけが問題のようだととられても仕方がありません。これでは客観的証拠がなくてもそれらしい話を積み上げて言って物語を作り上げるという、自白だけによった判決がいかにも正当であるかのように聞こえるのですがどうでしょうか。朝日新聞は、自白偏重の取調べや判決に対しては批判的な立場(正しい立場)をとってきたのではなかったのでしょうか。いかにもあいまいな物の言い方ではありますが、正確に正しい言い方をして自分の姿勢を読者にちゃんと伝えてもらいたいものです。

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2011年9月27日 火曜日

ドル危機、ユーロ危機

ドル危機は長い間言われてきました。専門家の間では、すでに常識になっていることなのですが、今回はユーロ危機を併発し、世界経済は半身不随に近い状態になってしまった感があります。ドル危機もユーロ危機もそれらをもたらした最大の問題のひとつに慢性的な巨大財政赤字があります。アメリカの場合は、戦後の政治と軍事の局面でリーダーシップを発揮するために、巨額な財政赤字を生み出してきました。朝鮮戦争ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争と巨額の財政支出が必要な事業を(それも終わった後に人々に幸せをもたらすものであったかが疑問な)この60年間におこなってきました。膨大な財政赤字はいかに巨大であるとはいえ、アメリカ経済を疲弊させるのに充分な大きさだったかもしれません。アメリカ国内でも問題は深刻です。失業や貧困、戦争からの負傷帰還兵でさえ満足な生活が保障されていないようです。人々が喜びに満ちた表情でアメリカ国家をうたえなくなってしまうのではないかと心配してしまいます。

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2011年9月18日 日曜日

朝赤龍

朝赤龍と言う四股名ですが、奇妙な四股名です。と言うより、「朝青龍」の四股名中の一文字を代えてみました、と言う名前です。横着な親方が何も考えずにつけた四股名だと言うことがよく分かります。朝青龍の名前のところでいったように、青は東を意味する言葉で、朝も龍も同じです。3つの言葉と文字が全て東を意味しています。しかも、太陽とともに東の空から天空に駆け上ろうとする龍のイメージです。すばらしい四股名です。朝青龍がその四股名に負けず、龍のように荒々しく大横綱に成長した姿を見て、これはまさに名は体をあらわすと言う言葉通りだと思ったものです。
これにたいして、朝赤龍の3文字の内の朝と龍は東を意味しています。ところが赤は、方角を表す言葉としては東ではなく南を表す言葉で、朱雀門と言う門がありますがこれは都や宮殿の南側に位置し、南の方角を守る門です。動物で言えば龍ではなく鳥をあらわします。
と言うように、朝赤龍と言う言葉は、漢籍から言えばそれ自身で意味を成さなくなっています。彼ほどの強い力士はもっとちゃんとした四股名を持つべきで、モンゴル人である彼にはそんな知識はないのですから、親方がしかるべき人に相談するべきだったと思います。この件に関しては、相撲協会に責任があると思います。大鵬の場合には、笑い話を題材にとった名前であることを承知の上で四股名にすると言うのはありだと思いますが、朝赤龍の場合には、その意味を親方や本人に知らせた上でアドバイスを出来る相談者を用意するべきだったのではないでしょうか。

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2011年9月13日 火曜日

大鵬と朝青龍

日本人なら誰でもが知っている朝青龍と言う大横綱の四股名もももちろん漢籍の中からです。朝も青龍も東の方角を意味する四神のひとつです。四神は中国の神話に登場する、世界の四つの方向つまり、東西南北を守る聖獣のことです。東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武が、それぞれ川、海、道、山などに対応して国を守ります。白虎隊や朱雀門などでお聞きになった方も多いと思いますが、そのひとつが青龍刀で知られる青龍です。国や都の東を守る青龍にやはり東(日の出)を意味する「朝」をつけた、文句なくすばらしい名前です。ところが関取に「朝赤龍」という人が現れました。朝青龍の青を赤に変えた名前です。私はこの四股名を知ったとき強い違和感を覚えました。
「四股名は記号だから何でも良いのだ。」と言う人がいます。本当にそうでしょうか。文字にも言葉にもそれぞれ意味があります。また、成り立ちや来歴があります。もっと言えば、文字や言葉は文化そのもので、文化としての歴史を持っています。日本人の文化的素養が疑われてしまいます。もし知らずに使ってしまったと言うのであれば、相撲協会に問題があるのではないでしょうか。四股名を漢籍から採用するのであれば、専門家の意見を聞くべきです。

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2011年9月 8日 木曜日

大鵬(2)

大横綱大鵬の文字については、前回言いましたが、正しくは「大鳳」でした。しかし、命名した人の考えも受けた大鵬本人の考えも解かりませんから、それ以上のことを言うことはできません。私としては、本人は大鵬の意味がわかっていたと信じたいところです。問題は、大鵬という大横綱が言葉の意味を変えてしまうのではないかということです。
大鵬の全盛時代に高校生だった私は、学校の先生に『大鵬』の出典と意味を教わった記憶がありました。ちょっと調べたいことがあって、「大鵬」とその出典である「斉諧」を調べましたが、「大鵬」はただ伝説上の大きな鳥だと言う以上の意味は出てきません。「斉諧」も荘子の本だという以上の意味は出てきません。日本人の漢字=記号的な考え方が、中国の古典を理解するのを妨げているのではないかと危ぶんでいます。
はっきりと知りたくなった私はヤフーの知恵袋に、この辺りのことの教えを請いました。回答はなんともがっかりです。「そんなことはどうでもいい。大鵬という横綱がいたということでいいではないか」と言うのです。「大鵬」に込めた荘子の気持ちや考えを想像してみるのは、それ自身だけでは何のとくにもなりませんが、「鵬」の字の意味を知らないよりは知ったほうが楽しく豊かな知識だとは思いませんか。そして楽しく豊かな知識は人生を楽しく豊かなものにするのではないでしょうか。
昔、府中の国際通のスナックに友人と入ったときのことを思い出しました。その店のカウンターの中にいた女性(多分ママ)がアオザイを着ていたのです。アオザイはいわずと知れたベトナムの民族衣装です。私は、何かベトナムとの繋がりやベトナムに対する思い入れが話として聞けるかと期待し、「アオザイだね」と話を向けました。何と彼女の答えは「え?なにそれ」というものでした。華やかな色彩の美しいベトナムの民族衣装を着ていた彼女は、ただたんにきれいで自分に似合うと思ってそれを買ったのだそうです。ベトナムについての薀蓄でも語ってくれたら楽しい夜になったろころですが。

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2011年9月 4日 日曜日

大鵬

大鵬は言うまでもなく、大横綱の名前です。私はこの名前を聞いたとき、すぐに関取の名にふさわしくないと思いました。「大鵬」とは、紀元前4世紀の中国の思想家である荘子の著書から取った名前です。彼の代表作「逍遥遊」の有名な冒頭の1節「北冥に魚あり、その名を鯤(コン)となす。その幾千里なるを知らざるなり。化して鳥となる。その名を鵬となす。鵬の背、その幾千里なるを知らざるなり。」に由来します。
この「逍遥遊」が収められた、「斉諧」と言う著書は、字のごとく「全て(=斉)ざれ言(=諧)」と言う意味です。大鵬を大きな鳥などと理解してはいけません。冒頭の「北冥」からして本当の話ではないことは明らかです。冥界のことだというわけです。しかも念入りに、大きな魚を「鯤」と言うわけですが、これは小魚を意味する感じですし、「鵬」は小鳥のことです。最も作字ですから、具体的にどの鳥を指すのかは分かりません。しかし偏の朋は群がる物を意味します。友とか仲間と言うような意味です。これをとりにすると、雀や雁などということになります。鷹など強い鳥は、群れを作りません。荘子は、鳳と音が同じ朋に鳥をつけてしかも意味が逆の鳥をあらわして、笑い話として完成させたのです。

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2011年8月30日 火曜日

戦争の責任(2)

先の戦争が終わって、65年が経ちます。前回に提起した3つの問題に入る前に、実は一番大きな、前提となる問題があります。それは、「なぜ日本と日本人は、戦争の問題を正面から議論しなかったのか」と言う問題です。日本軍人と東南アジアの住民を中心におよそ600万人がこの戦争で死亡しました。なぜこの戦争を書面から論じようとしないのでしょうか。戦後の教育においても、詳細な歴史的事実、日本経済の状態、政治的状況そして何よりも当時の日本人の内面を知る必要があります。しかし、それらの真実に迫る、踏み込んだ思考は示されませんでした。実に、私自身にとっても昭和10年代から20年までは、事実の羅列しか認識がありません。
そして前回提起した問題を少しかたちを変えて議論することとします。

1、戦争を日本人や社会はどう受け止めたのか。
2、戦争行為そのものを罪として問うことの是非と問題。
3、なぜこの裁判を日本は受け入れたのか。
4、戦争を起こした責任はどのように問われるべきであったのか。

問題が大きすぎて私の手に余りますが、出来るだけ書き続けます。

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2011年8月28日 日曜日

戦争の責任ー東京裁判

戦後おこなわれた東京裁判は、2次大戦における日本軍の行為に対する罪を認め、起訴されたA級戦犯の多くが有罪になりました。この裁判はおおくの議論がなされました。
裁判は、通常のこうした裁判で裁かれる戦争犯罪だけではなく、戦争を起こしたことそのものを問う「平和に対する罪」も重要な犯罪として裁こうとしました。この裁判には当然多くの疑問点が投げかけられ、その正当性に大きな問題を残すことになりました。
以下に、いくつかの問題を順番に議論することとします。
1、戦争行為そのものを罪として問うことの是非と問題。
2、なぜこの裁判を日本は受け入れたのか。
3、戦争を起こした責任はどのように問われるべきであったのか。
続く

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2011年8月24日 水曜日

東条大将と戦陣訓

部下の多くを戦陣訓によって殺害してしまった東条大将は、「生きて捕虜になるな」と言う自分の教えを実行することは出来ませんでした。自殺に失敗したからそれでよいとは戦陣訓には書いていません。「死ね」と書いてあるのですから、自殺の失敗は戦陣訓にそむいています。しかも失敗によって作られた傷は、米軍軍人の輸血や手厚い看護によっていえました。そのことについて彼は、自殺に失敗したことを持ってそれで自分は責任を果たしたのだと言うなんとも理解しがたい態度でした。
他人に押し付けた行動と、自分のとるべき行動の背反は東条大将に限ったことではありませんでした。特攻隊の司令官であった冨永恭次は、その前から体の不調を理由に前線からの離脱を図り、敵前逃亡と言われていましたが、特攻隊の司令官として62回にわたって約400機の特攻を命令しパイロット達を全員戦死させました。特攻隊出撃前には「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」と訓示しましたが、戦後もしぶとく15年間を生き延びました。

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2011年8月23日 火曜日

戦陣訓と巣鴨プリズン

巣鴨プリズンというのは、いわずと知れた連合国側が日本戦犯を収容する刑務所です。あろうことか戦陣訓の作者東条大将は、連合国の捕虜となり、東京裁判にかけられることになります。
東京裁判に問題があったことは多々指摘をされていますが、日本国民が本来裁くべき(裁判でと言うよりも、事実を解明するため)この戦争を、アメリカ軍やこの裁判の意味を知っていた少数の日本人指導者は、A級戦犯を国体護持(天皇制を守り、天皇への戦争責任の追及から天皇を守るための見返りとして差し出しました。この裁判が以下に不合理な物であろうと、そのことを世論に訴えて本格的に争うわけにはいかなかったのです。(この裁判の問題、この戦争の問題や、戦後処理に対する教育など国民の目から遠ざけられた問題については稿を改めます。)
語るべきことはあまりに多くありますが、本題に戻りますと、東条大将は連合国軍による逮捕の日、胸を拳銃で撃って自殺を図ります。この行為を東条大将は後に、「捕虜になるぐらいなら死ね」と言っていた自分が、死なないわけにはいかなかった。と語っていますが、自殺の失敗には非難が渦巻きました。私もこの点を調べてみて、なぜ右手で持った拳銃で自分の心臓を打ち抜けなかったのかを疑問に思いました。拳銃で自殺する際には、頭を撃つか口の中で脳に向けて発砲するのが普通だと思っていたので、なぜ服の上から心臓を狙ったのかよく分かりません。本来左利きであった東条大将が右手で打ったから失敗したのだと言うような弁明もありましたが、ではなぜ米軍の逮捕のときに自殺を図ったのかは説明することが出来ません。逮捕の前に、実質的に捕虜になっていたわけですから。その後も自殺することなく、裁判で絞首刑が言い渡され、1948年に処刑されるまで行き続けました。もちろん、生きて戦争の真実について、多くを私達に方ってほしかったので、生きていることには、問題があったとは思いませんが、複雑な気持ちを持った人たちは多く居たのではないでしょうか。

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2011年8月20日 土曜日

戦陣訓

カウラの大脱走で、強硬派の根拠となった戦陣訓は、1941年当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令(陸訓一号)です。問題となる箇所をそのまま載せます。
「恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ「」と言うものです。構成にいろいろと解釈する人はいますが、その多くは東条英機大将を擁護しようとするものですが、戦陣訓を直に読めば捕虜になることは恥であるから、捕虜になるよりしを選べとしか読めません。第一、登場対象はこの解釈に一度も異議を唱えませんでしたし、少なくともその解釈を訂正しませんでした。戦陣訓にしたがって多くの人が命を落としました。軍人だけではなく、民間人に死を強要する根拠ともなったのですが、それにすら東条大将は何も言いませんでした。
1945年(敗戦の年)9月11日東条は、自殺未遂事件を起こします。後に東条は、巣鴨プリズンでこのときのことを「戦陣訓で捕虜になるよりも自殺しろと言ったのだから自分も自殺しようと思った」とかったったそうです。このことからも東条が戦陣訓をどう考えていたかも明らかです。また、戦陣訓に基づいて、「日本軍人に捕虜はいない」と言う内閣の考え方を内閣総理大臣としてつらぬきとおすわけですから、戦陣訓を好意的に解釈しようとする試みは、通用するはずもありません。



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2011年8月19日 金曜日

カウラの大脱走

カウラの大脱走事件と言うのは、第二次大戦の終戦の前年、日本軍が敗色濃厚(と言うよりも敗戦に突き進んでいた)であった昭和18年8月5日に起こりました。オーストラリア軍の捕虜となった2200名の日本人軍人の内1100余名が、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州のカウラに収容されました。
収容された日本軍人達は、「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う日本軍の戦陣訓にしたがって、生きて命を永らえるよりも死んで国のために尽くそうと決めました。そのためにこの捕虜収容所で脱走事件を起こし、オーストラリア軍の戦力を削ぎ、日本軍の助けにしようと考えたと思います。実際に脱走事件を決めるに当たっては、葛藤があったそうです。しかし主戦派の強硬な主張に押されるようにして、決死の脱走が決められたそうです。
脱走は決行されましたが、すぐに鎮圧されたそうです。バットや食事用のナイフ・フォークなどが武器なのですから、機関銃を装備したオーストラリア兵にかなうはずもありません。死者数235名(オーストラリア人4名、日本人231名)、負傷者数日本人108名を出してあっけなく事件は終結しました。
何ということか、日本政府は、事件を把握していましたが、「生きて辱めを受ける捕虜は日本軍にはいない」と言う立場を変えず、この事件を黙殺しました。また、この事件を潜り抜けて日本に帰還した人たちは、捕虜であったことをひた隠すために、周りの人にこの事件を伝えなかったと言うことでした。

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2011年3月 1日 火曜日

こんにちは。

これからブログを始めたいと思います。

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